2007年5月4日金曜日

がんエッセイ5 「赤門」

笑われそうな気がするから人に話したことはないが、私は昔から辞書が好きである。ちょっと休憩したいときなどは辞書を手にして寝っころがる。「あ」なら「あ」から始まる言葉が淡々と続いているのを読んでいくと心地よい。それほどの辞書好きなら賢いのだろうと思われそうだが、辞書を読むことは私にとって活字中毒の延長線上にあるようなもので、生き方に於いては辞書非活用である。辞書好きだなんて、面目ないから人には言えない。

手元にある集英社の国語辞典で「赤門」を引くと「東京大学の西南隅にある朱塗りの通用門。もと加賀藩前田家上屋敷の御守殿門。転じて、東京大学の通称」とある。
徳川幕府には、大名を統制させるための参勤交代制度が設けられていたから、諸藩の大名は江戸市中に屋敷を構えて妻子を住まわせ、藩主は郷里と江戸とを一年交代で異動しなければならなかった。三位以上の大名でその子息が徳川家の姫君を妻に迎えた場合は、花嫁のために赤い漆を塗った門を建てるという慣習があった。その門の名称を御守殿門(ごしゅでんもん)という。東大の通用門となっている御守殿門は、1827年、加賀藩主・前田齋泰に嫁いだ11代将軍徳川家齋の息女溶姫のために建てられたもので、この地が東京大学になった時から、正門の黒門に対して赤門と呼ばれるようになった。

がんを発病して手術と化学療法治療の体験を持っている。
その話をしてくださいと時々依頼を受ける。依頼先は医療機関で、看護学校の生徒さんへの卒業記念講演だったり、患者の心を知るという題で医師や看護師さんたちの研修会だったりする。
医学の力を総結集して病気を治すことは第一義だが、治癒率の向上と共に病を引き連れて生きていかなければならない時間も長くなっている今、心のフォローにもやっと目が向けられるようになってきた感がある。それは患者体験をした者から言えば、喜ばしい事である。だから私は依頼を受けたら全力で丁寧にそのときの気持ちを掘り起こしてお伝えする。
がんに罹患した経過を話していけば、気持ちがその当時に戻ってしまうから辛い思いもするが、自分の気持ちをさかのぼって確認していくことで、今の気持ちを整理できるというメリットもある。一つ一つ講演をこなしながら、がんからの自立や自律を地固めしてきた気がする。

「少数のゼミですが、医学部の学生たちに体験を話していただけませんか。現行の医学カリキュラムの中では『患者の気持』の部分に使う時間は驚くほどに少ないままです。自助グループや当事者同士の支えあいについての授業は皆無と言っていいでしょう。医者になる前に一学生、一人の若者としてお話を聞くことは彼等にとって非常に得がたい経験になるはずです」、と東大の先生からメールが入って、梅雨に入って細い雨の降る6月に、赤門の前で待ち合わせることになったのだった。
御守殿門の朱塗りの漆は、ところどころ色が浅くなっているが、時代の重みを充分に保っていて東大の威厳にふさわしい貫禄であった。近寄ることもまぶしい東大である。私はかなり緊張をしていた。小柄なM先生が大きなイチョウ並木の向こうから現れて、医学部3号館に学生たちが待っていますから、と案内をしてくださった。途中の運動場には東大と書いたユニフォームを着たサッカー部員が雨と泥にまみれて走り回っていた。屈託の無い笑顔。応援の女の子たちの一団もごく普通の若い女性の身なりで、学業一筋と昔風に思っていた私は、どこにでもあるような大学風景に少し安心した。
教室に待っていた6名の医学生たちから自己紹介書を貰った。ドラムをやってボウイを聴いて、一浪したり、他大医学部の受験の失敗などの挫折を味わったり、また、宗教勧誘やキャッチセールも潜り抜けてのエピソードや、自分が嫌いで長らく自己嫌悪に陥っていたなどなど、各人の落ちこぼれ的経験もたくさんつづられていて、お医者さんの卵としても、人間味があることにほっとした。
学生さんの将来は小児科医やターミナルケアーと希望はまちまちだったから、私のがん体験話がどの程度お役に立ったのかは分からないが、それでも、医療システムの中で感じた患者と医師の目線のづれ、それからがんに向かい合ってどのようにそれを受け入れて行ったかのプロセスを話していったときは、眉を曇らせるようにして聞き入ってもらった。

がんになってから、たくさんの人に出会えて、ありがたいと思っている。東大の学生さんの自己紹介書は大切にファイルしてある。私がもしも元気で九十代まで突入して(欲深いこと)、もしも餅でも喉に詰まらせて救急車で運ばれた先に、この学生さんたちがバリバリの現場の医師として働いていたら、いいなぁと思う。そうしたら、あのときの私です、とピースサインくらいは出してみたいと思っている。
余談だけれども、「我輩の辞書に不可能の文字は無い」と言った英雄ナポレオンは、そうは言っても、可能にするための苦悩で胃を痛めたのではないかと思う。胃がんで亡くなったと物の本にあった。

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