2007年5月4日金曜日

がんエッセイ7 「荷物」

「生きがい療法」とは、ごく普通の人々が、ガンや難病になった場合、その不安、ストレス、死の恐怖などに上手に対処し、生き甲斐をもって生きるための心理学習プログラムである。精神疾患を治療するための森田正馬が築き上げた療法を元とする。

がんを罹患して一年後(今から10年前)、例えようもない虚脱感を引き連れて、深い穴の淵に立っていた時期があった。
予定されていた抗がん剤治療が無事に終了して、ともかく命をつなぐことのできた状態ではあったが、入院中にたくさんの死を垣間見たためか、精神的にはボロボロであった。今、自分が病院の外という安全圏に置かれているにもかかわらず、その健康社会のあっけらかんとした日常があまりにもまぶしすぎて、心がついていかれない状態であった。
再発の恐怖も私の背中にぴったりと張り付いていた。
どのように努力をしても、きっとそれはやってくるだろう。再びの辛い治療。そして私は死ぬだろう。
どうせ私の人生に幸せはないのだ。私の幸せは積み上げるたびに崩れてきたではないか。いろいろあって、それでも頑張ってきた。生活がそれなりに安定して、今後なんとか働き続けていけば、子供を大学にまで行かせることができるぞ、と腕まくりをしたその瞬間に、神様が私の背中をトントンとたたかれた。そしてくだされものをした。がんだった。あまりにもの仕打ち、と私は思った。
「背負えるからくださったのだ」、と人は安易に言う。背負わされた人は、そうでも思わなければ生きていかれないから、そのように無理やりに思う。けれども重い荷物なんて誰が好んで背負おうか。
私は暗い沼の淵をぐるぐると回りながら、そう思っていた。

白い紙を2枚渡された。
「この部屋の中を観察して何か面白いことを見つけてください。自分が座っているところから見える外の景色でもいいですよ。面白いことですよ。探してみてください」
人々はざわめいて、顔を天井や窓の外に向けたりした。私は、そんなことが何になるのだろうかと思った。……面白いことなんか何もない。こんな狭い部屋とそこから見える窓の外のわずかな空間におもしろいことなんかあるわけがない。
「隣の人が面白い顔だというのでもいいんですか」
「いいですよ。でも理由を書いてくださいね。鼻毛が一本だけ伸びているとか、それが笑えるという箇所を書いてくださいね」
何も面白いことなんかないのに、と思いながら私も皆と一緒になってキョロキョロとした。天井のクロス張りがずれて、四角形のつながりが一部だけ台形になっていた。台形が一つだけ仲間はずれにされているようで、何か親しみがもてた。
天井から吊り下げられた電球の紐が長すぎたのだろうか、何重にも束ねられたそれは結ばれていて、それが握り拳の形にみえることを発見した。電球と傘が、天井から下がる紐に手を出して必死につかまっている形に見えて、なんとなくおかしかった。

「もう一枚の紙の真ん中には自分の名前を書いて、その周囲に知っている限りの人の名前を書いていきましょう。それらの方々を自分の名前と線で結んで、自分の思っている関係の太さで表してみましょう」
「犬や猫でもいいんですか」
「いいですよ。ゴキブリに名前をつけて家族の一員としている人はゴキ子の名前でもいいですよ」
先生が笑って答えて、参加者の皆も笑った。
白い紙の上に私は思いつくままに名前を書いていった。親兄弟や縁戚や自分の子供。それに飼い猫。学生時代の友人。バドミントンクラブの部員やコーチたち。子供の中学生時代のPTAグループや町会のお友達。仕事仲間……友人たちの名前がいっぱいに連らなって、白い紙からあふれそうになった。
「書けましたか?では何人かの方に発表してもらいましょうか。はじめの紙は面白探しです。このようになんでもない部屋に座っていても探せば面白いことはあるものですよね。探しましょう。面白いことを探して、たとえ30秒でも笑うことができたら免疫力が向上します。その分、がんのやつはへこたれます。
2枚目に書き出してもらったお名前は、今までの自分とこれからの自分を支えてくださる大切な方々です。皆で一緒に手をつないで生きているのですよ。大事に生きていきましょうね」
貴女はお友達の数がすごいですね、と先生から誉められた。
がん患者たちが集まる患者会で、がんとの共生を図りながら、日々明るく生きていくための訓練をする「生きがい療法」の講習会に参加した日の出来事だった。がん以後にがん以外のものに目が向けられた日。暗い沼の淵からほんの数ミリだけれども、私は前に出た。

A4の紙面いっぱいにあふれて、私を支えてくださっている人々の群れ。その時の用紙を私は今でも時々取り出して見る。この人々の群れの中に戻りたい一心で、笑いを自らに義務付けて、気持ちが明るく保てるように努力をした。あれから11年、努力の甲斐あってか、私は人一倍よく笑うおばさんになった。この年で箸が転げても笑えるとはおかしな人だといわれて、私は奥歯まで見える、のけぞり笑いを反省する(-_-;)が、すぐに忘れる。クヨクヨはがんには大敵だからである。
友人の数もおかげさまで増え続けて、当時の倍になった。つながせて戴いた手は、もったいなくて、もったいなくて、離せない。生きていることも嬉しくってしょうがない。

一夜に千里をかけられるほどの脚力も、持ち場がいやだからと、どこかにワープできるほどの念力も人は持ち合わせていない。結局は自分に与えられた場で、与えられた荷物や拾った荷物を、背中や両手に持ち合わせて、歩いていくのだろう。それがすなわち生きていくことなのだろう。
背中に乗っているはずのがんのやつを、私は多少なりとも上手に運べるようになったのだろうか、時として背中が軽いことがある。

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