「青屋」
いつも行っていた駅前の八百屋さんは品物もよくて値段も安くてよかったのだけれど、会計をしてくれるおじさんが私は苦手であった。そのおじさんは籠に入れた野菜を暗算しながら、袋に詰めていき「1650円」といつもぶっきらぼうに言った。詰められたものを受け取ろうとすると、手を出しているのに、すぐ脇の籠にわざとのようにいれる。へんくつなおじさんは世間にいっぱいいるから、こんな程度ならそうおたおたしないが、本当にいやだなと思ったの、計算を時々間違えることだった。ざっと計算して大体の金額よりもえらくかけ離れていたある日、ちょっと指摘した。おじさんは間違いを謝るわけでなく、「そうだね」と言ってかすかに笑った。感じが悪かった。
後日の買い物で「今日は領収書をください」と言ったら、「主婦になんで領収書がいるのか」とのたまいながら領収書を書き、もらおうと手を出している私の手をよけて台の上に置いた。このおじさんを大嫌いになった。
このおじさんに<我が家庭型保育室は自営業の部類なので、離乳食を作るための野菜は経費なのです>と言おうとしたが空しくなってやめた。
スーパーの陳列棚で冷風を噴霧され続けている野菜たちよりも、日の光に照らされながら青は青に赤は赤にはっきりと色をつけている野菜たちが私は好きである。だから、次の八百屋さんを探す事になった。
下町にはトラックでやってくる八百屋さんがまだ残っている。近所にある大型マンションに来る八百屋さんと魚屋さんが面白いらしいとのうわさで行ってみた。面白かった。
★
14時過ぎにやってくる八百屋のトラックを近所のおばあさんやおじいさんが待っている。車がやってくると、そのおばあさんやおじいさんたちは、にわかにボランティアと化してトラックの荷台に群がる。腰の曲がっているおじいさんも張り切って野菜のダンボール箱を降ろしている。降ろした後に品並べも手伝う。早くも買いに来たお客さんたちに値段を口伝えで教えている。にわかボランティアのおばあさんおじいさんたちの生き生き感が伝わってくる。
計算は白い紙に品物の一つ一つの値段をマジックで書き、縦算で合計してくれる。単なる数字の紙切れだが、見やすく解かりやすく、もちろん笑顔と三言四言の雑談付きで、にぎやかしい。
計算の手伝いだけにやってくるおばあさんもいる。このおばあさんは八百屋の品物が出揃った頃にやってくる。行かねばならぬという小走りで、嬉しそうにやってくる。
そうこうしているうちに、魚屋がトラックでやってくる。人の波が少し移動する。刺身の盛り合わせ方が好みでない、烏賊に蛸はいらない。タイがいいからとなりのタイと盛り合わせてある鰯をどけて烏賊に組みかえるか、と勝手に客たちが盛り上がる。
八百屋も魚屋も売り切れ御免である。
★
ある日のこと遅い時間に行った。魚屋のウインドウにはうなぎの蒲焼とニシンの菜の花漬けだけがあった。ニシンの菜の花漬けを買った。魚屋のおじさんは裏扉の冷蔵室を開けて魚の半身をもってきた。「お姉さん、お姉さん、このスズキの刺身いらない?」って言う。おばさんの私に気を使ってお姉さんと言ってくれたのでココロが動いた。……でも今日は家族が食卓に揃わなくて半身の刺身は無理。それにスズキの刺身は少し苦手。それで、私は「スズキ嫌いだし……」と小さな声で言った。そしたら、おじさんが怒り出した。「あったまきたなぁ~!スズキを嫌いだってか。絶対に旨いから食べてみろ!これやるよ!もう最後のだからやる。だから食べろ」「えっ、いらない。嫌いだもん」「やるったら、絶対やる」
スズキをビニールの袋に入れて目の前に突き出した魚屋のおじさん。
「いくらぁ」「いらねぇよ」。目が笑っているから安心して貰った。
「刺身が嫌いなら、ムニエルにしな。塩コショウして、粉振って焼く。うまいから。スズキはうまいから」と魚屋は力説する。私もわがまま言ってみたくなって、そこに残っていたうなぎを指さして「おじさん、私、うなぎも嫌い」と言ったら、「うなぎはやらネェ!」と即座に言われた。
★
青物横丁、青物市場などの名称が今でも残っているように八百屋さんは、昔は「青屋」と呼ばれていたそうである。青は野菜類の青さからきている。<アオヤ>が<ヤオヤ>に変化をして「八百屋」という漢字が当てはめられた、と物の本にはある。青はあくまで売り手側であって、買い手側のお客を青くさせてはいけない。
おばあさんやおじいさんのボランティアがいる楽しいトラック八百屋。みんなで肩触れ合うようにウインドウを覗きこんで、てんでにわいわいがやがや言えるトラック魚屋。良い二つのお店にめぐり合うことができて私は誠にうれしい。半年以上たつが、嫌な思いは一度もしたことが無い。
後日の買い物で「今日は領収書をください」と言ったら、「主婦になんで領収書がいるのか」とのたまいながら領収書を書き、もらおうと手を出している私の手をよけて台の上に置いた。このおじさんを大嫌いになった。
このおじさんに<我が家庭型保育室は自営業の部類なので、離乳食を作るための野菜は経費なのです>と言おうとしたが空しくなってやめた。
スーパーの陳列棚で冷風を噴霧され続けている野菜たちよりも、日の光に照らされながら青は青に赤は赤にはっきりと色をつけている野菜たちが私は好きである。だから、次の八百屋さんを探す事になった。
下町にはトラックでやってくる八百屋さんがまだ残っている。近所にある大型マンションに来る八百屋さんと魚屋さんが面白いらしいとのうわさで行ってみた。面白かった。
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14時過ぎにやってくる八百屋のトラックを近所のおばあさんやおじいさんが待っている。車がやってくると、そのおばあさんやおじいさんたちは、にわかにボランティアと化してトラックの荷台に群がる。腰の曲がっているおじいさんも張り切って野菜のダンボール箱を降ろしている。降ろした後に品並べも手伝う。早くも買いに来たお客さんたちに値段を口伝えで教えている。にわかボランティアのおばあさんおじいさんたちの生き生き感が伝わってくる。
計算は白い紙に品物の一つ一つの値段をマジックで書き、縦算で合計してくれる。単なる数字の紙切れだが、見やすく解かりやすく、もちろん笑顔と三言四言の雑談付きで、にぎやかしい。
計算の手伝いだけにやってくるおばあさんもいる。このおばあさんは八百屋の品物が出揃った頃にやってくる。行かねばならぬという小走りで、嬉しそうにやってくる。
そうこうしているうちに、魚屋がトラックでやってくる。人の波が少し移動する。刺身の盛り合わせ方が好みでない、烏賊に蛸はいらない。タイがいいからとなりのタイと盛り合わせてある鰯をどけて烏賊に組みかえるか、と勝手に客たちが盛り上がる。
八百屋も魚屋も売り切れ御免である。
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ある日のこと遅い時間に行った。魚屋のウインドウにはうなぎの蒲焼とニシンの菜の花漬けだけがあった。ニシンの菜の花漬けを買った。魚屋のおじさんは裏扉の冷蔵室を開けて魚の半身をもってきた。「お姉さん、お姉さん、このスズキの刺身いらない?」って言う。おばさんの私に気を使ってお姉さんと言ってくれたのでココロが動いた。……でも今日は家族が食卓に揃わなくて半身の刺身は無理。それにスズキの刺身は少し苦手。それで、私は「スズキ嫌いだし……」と小さな声で言った。そしたら、おじさんが怒り出した。「あったまきたなぁ~!スズキを嫌いだってか。絶対に旨いから食べてみろ!これやるよ!もう最後のだからやる。だから食べろ」「えっ、いらない。嫌いだもん」「やるったら、絶対やる」
スズキをビニールの袋に入れて目の前に突き出した魚屋のおじさん。
「いくらぁ」「いらねぇよ」。目が笑っているから安心して貰った。
「刺身が嫌いなら、ムニエルにしな。塩コショウして、粉振って焼く。うまいから。スズキはうまいから」と魚屋は力説する。私もわがまま言ってみたくなって、そこに残っていたうなぎを指さして「おじさん、私、うなぎも嫌い」と言ったら、「うなぎはやらネェ!」と即座に言われた。
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青物横丁、青物市場などの名称が今でも残っているように八百屋さんは、昔は「青屋」と呼ばれていたそうである。青は野菜類の青さからきている。<アオヤ>が<ヤオヤ>に変化をして「八百屋」という漢字が当てはめられた、と物の本にはある。青はあくまで売り手側であって、買い手側のお客を青くさせてはいけない。
おばあさんやおじいさんのボランティアがいる楽しいトラック八百屋。みんなで肩触れ合うようにウインドウを覗きこんで、てんでにわいわいがやがや言えるトラック魚屋。良い二つのお店にめぐり合うことができて私は誠にうれしい。半年以上たつが、嫌な思いは一度もしたことが無い。