2007年5月5日土曜日

父エッセイ12「パチンコのとどめ」

父と弟は男湯の下駄箱にサンダルを入れた。私と妹は女湯の下駄箱にサンダルを互い違いに伏せて入れて下足札を取った。桶の中には石鹸とタオルと櫛とあかすりが入っている。抱えたバスタオルの中には着替えのパンツ。父と弟、私と妹が男湯と女湯の引き戸を同時に開ける。番台のおばさんが「みんな一緒ね。大人が一人で23円、子どもが三人で24円、シャンプー代が10円。えーと、えーと」と計算をしていく。父が100円玉を出す。
入り口の脇に積んである目の粗い大きな籠を二つ持ってきて床の上に置く。小さな庭に面して木の長イスがおいてあり、近所のおばさんが裸で座ってコーヒー牛乳を飲んでいた。
妹が「お父さんコーヒー牛乳代を持ってきたかな」と言う。「持ってきたでしょ。あとで番台のおばさんに聞いてもらおう」と私が言う。銭湯にはお湯から出てきた赤ちゃんを引き取って面倒をみてくれるおばさんが働いていて、「すみません!お願いします」というお母さんの声で駆け寄って洗い上げられた赤ちゃんを受け取り、小さなベッドに寝かせて、タオルで拭いた後におしめとおしめカバーをつけている。備え付けの天花粉をあごの下から上半身一面にぬられて真っ白になった赤ちゃん数人が足をバタバタさせている。
浴場内で洗ったり湯船に沈んだりしていると、やがて男湯のほうから「きみちゃん!出るぞぉ~!」と父の声がした。
「うん、私たちも出る!」と妹が大声で答えた。使い終わった木の桶を伏せて積み重ねて、ぬれたタオルをきっちり絞ってまず体を拭き、それから自分の籠のところに歩いていく。
番台のおばさんにコーヒーを飲んでもいいかと父に聞いてもらう。父がいいよと答えているようだ。ついでに妹が男湯にいる父の方に行きたいと言う。番台の前の戸をあけてもらってすばやく妹を押し込む。やがて父と弟と妹ががやがやと出て行く気配。番台のおばさんが卓球場に行くの?それともこれ?と親指を手の内側に曲げたり伸ばしたりした。

銭湯のすぐ近くにパチンコ屋さんがあった。昭和35.6年。私がまだ小学生の頃だった東京の下町。銭湯に行くのは三日に一度くらいだったように思う。家業の大衆食堂の定休日と銭湯に行く日が重なると父と一緒によくパチンコ屋さんに行った。当時、風紀が悪いとか清く正しく子供を育てましょうとかの厳密な区分は下町にはあまりなかったようで、ここから先は駄目とか、いいとか、大人社会に適当に子供が混ざったり外れたりしていたような感じがある。
パチンコは立ったまま打つ。もちろん自動ではなく親指で一つ一つはじくタイプである。父は玉が出れば緑というタバコと換える。時折それにキャラメルが混ざる。父の台にたまる玉を父が分けてくれる。弟と妹と私と三人並んで指ではじいていく。台の中側では玉を足していくお兄さんが動いている。増えたり減ったりしていた父の玉が本当に無くなってしまうと「せっかく出始めたのにお前たちが取ってしまうからなぁ」と父が言う。足元に置いてあった銭湯の道具を持ってみんなで一緒に家に帰る。
母と祖母はふるさとの言葉が抜け切れずに名古屋弁で「やっぱりあかんぎゃ、子供を連れとってはパチンコになれせんでしょう」と言う。

結婚をして、夫と死別をした。当時長女が10歳、長男が8歳だった。長男を男として育てる見本をどうしたらいいのか悩んだ。私がいくら威勢良く乱暴に育てても男の考え方と女の考え方はその性差からくる基本的なところでもう違っているであろう、と悩んだ。
それで、まだ存命だった父とそれから子育てを我が家と同じような段階で進行中の弟に、「男の目」としての見本や考えを学ばせてもらいながらなるべく意見を聞いた。その上、もし夫が生きていたらさせたであろうと思えることに対しては率先して息子を連れまわした。魚釣り、キャッチボール、笑われるかもしれないけれど、パチンコにも。長男を男らしく育てるのに必死だった。
京成高砂に夫のお墓がある。その駅前には二軒のパチンコ屋さんがあって、お墓参りのあとによく息子を連れて行った。小学生だった時も、中学生だった時も。夫が生きていたら息子と仲良く行ったかもしれないパチンコ屋さんへ私が入るのは、私にとっては子育ての一環であったから恥ずかしいこともなかった。
息子が高校生になってからはめったにお墓参りにも付いてこなくなったのでパチンコ屋さんへの同行習慣もやがてなくなった。

この年の暮れにお寺さんへ挨拶に出かけた。お墓を掃除してお酒とお花を供えて拝んだ。そのあとは高砂の駅のすぐ脇にあるイトーヨーカドーで買い物をする。パチンコに息子を連れて行く必要がなくなってからの私の墓参のコースである。
けれどもこの日は何か妙に胸騒ぎがした。パチンコ玉がジャラジャラと出る予感で頭がいっぱいになっていた。10年ぶりに足が向いた。
店内に入る。なるべく人のいないところに座った。ムムムゥお金を入れる場所がない。係りの人がカードでやる機械ですよ、と言う。お金はあちら、と指差された台に移る。500円玉を入れたら自分が座っている台の隣に玉が流れ出た。あわてて席を移動する。父が頂点の釘の少し左側に当たるといいぞと言っていた事を思い出す。
打ち出してすぐに台の周囲の赤ランプが派手に点滅した。数字の両サイドが7と7になった。その真ん中に猪八戒のような豚がいろいろな数字を置いては潰してまた置いては潰している。最後に置かれた数字は7だった。777!係りの人が飛んできた。この間わずか5分。なんだか玉がどんどん入る。下からどんどん出る。あふれそうになってもどうやって大きな箱に入れたらいいのかわからない。
後ろに立ってみていたおばあさんが「初めてなの?いいわねぇ。これって150回も開くやつなのよ。いいわねぇ」と言いながらレバーを横に押して玉が下の箱に入るようにしてくれた。玉が出続ける。箱がいっぱいになった。やがて派手についていた赤いランプが消えた。私は予感が当たったことに感動していた。

男の子を育てるためにパチンコにも連れていっていた母親だった私。必死だったあの頃が何だか懐かしい。27歳になっている息子に今日の777を報告したら「とどめが肝心だよ。ランプが消えたところでやめて正解」と説教された。息子はパチンコが嫌いだそうである。

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