父エッセイ13「父の遺言」
「父の遺言」(第114回 20050714)
故二子山親方の相続や遺言騒動がワイドショーをにぎわせている。
大事な書類の入った黒革のかばんが消えた。死期間近い病室に誰と誰がいたのか。図まで描きながら、口から泡を吹いて喋りまくるレポーターの横顔が、地獄の釜に嬉々として群がる赤鬼たちのようにも見えて、おどろおどろしい。親からの遺言。縁あって親子として暮した長い歳月の中から受け取るものも有る。
★
二十歳のときに母の弟にあたる叔父からお見合いの話があった。叔父の家は大きな傘屋さんを営んでいて、そこに出入りしている26歳の営業マンが、なかなかに誠実な人なのでどうかということだった。どうする? と父が私に訊いた。私は「まだいい」と言った。保育者になる学校を卒業したものの、家業の大衆食堂の人手が足りずに店を手伝っていた長女の私。その労働力を重宝もしていた父は「そうか」、と言っただけだった。
二年が過ぎた。
叔父がふたたび縁談を持ってきた。「以前の人なんだけど。どお? 将来は独立したいから商売屋さんの娘さんを探しているそうだけど、逢ってみない? 」
三年越しの縁談である。
営団地下鉄(現東京メトロ)「人形町」の出口を、トントントンと駆け上っていったら叔父とYさんが立っていた。Yさんは上背のある男前で目に張りがあって声が柔らかくてとても素敵な人であった。
私は自慢ではないが不細工な顔を持って生れ落ちた。美男子にこの私ではつりあわない。これはだめだな、と思った。それで私は断わられてもともとの感じで、取り繕うことなく自然に振舞った。敬語と静かな声で話すYさんを横目に、私はよく笑いよく食べ、上品ぶらずに普段どおりにしゃべった。そして食後のコーヒーのあと、おおよそお見合いらしくもないとどめで「かっちゃん(私たちは叔父をそう呼んでいた)、ちょっとお手洗いに行きたい」と言いつつ、Yさんに会釈をして、前を横切った。
「明るさと快活さと、物怖じしない元気さが良い」という返事が、かっちゃん叔父さんのところに来て、私たちは付き合うようになった。人並みなデートも人並みな長電話もして半年後に式を挙げた。一年後には商売を独立させて、子供が二人生まれて、自営業を拡大した。社員が増え、パートさんが増えて軌道に乗った矢先の夫の早逝。夫42歳、私36歳、結婚生活13年と一ヶ月だった。
葬儀が終わり、8歳と10歳の子供を抱えた私に、「何があっても笑っていないさい。そのうちにきっといい事がやってくる」と父は言った。
★
人生の前半に悪いことが重なる運命を持って生まれてきたのか、36歳で夫と死別した後に、引き続いて私はがんを罹患している。がんは夫との死別後の生活が何とか立ち直り、笑顔も板についてきた頃だったから、神様は非情なことをなさると気落ちした。辛い治療や死の世界に連れていかれそうな恐怖、それに片親さえ亡くしてしまうかもしれない子どもたちと、生まれてきた甲斐さえないような自分自身への憐憫に、うなだれるばかりだった。
その後、笑うことなどもうないと思っていたけれども、人生はなかなかにして捨てたものではなかった。
がん治療が落ちついて日常生活に戻ったとき、あとは再発をどう防いでいくかという模索になった。生き方の基本から直していかなければ、がんはまた再発するだろう。
私なりに考えた。がんの原因であるストレスによる免疫異常をクリヤーしていくには、笑いの効用でキラー細胞を増殖させて、そやつにがん化した細胞を喰いまくってもらって免疫力を高めていくほかに手はないだろうと。そして、ストレスを回避するためには、とことんマイペースの行動をしようと。
よく笑うこと、ストレスからサッサカ逃げることを徹底的に自分に義務付けた。楽しい人とだけ付きあう。落語に行く。面白い話がなければ自分から探しにいく。うるさがられようとも大きな声でおなかの底から笑う。おかげさまでこの年まで来た。不細工なのは昔から変わっていないが、まあともかく笑顔をいつも絶やさない女にはなれたと思う。
★
そういえば、夫が亡くなったときに父は「何があっても笑っていないさい。そのうちにはきっといい事がやってくる」と言ってくれたが、その昔、夫とのお見合いに出かける私の背にも父は同じような言葉を投げかけたのだった。
「おまえは器量があまりよくないから、笑っていなさい」と。
年頃の娘によくもずばりと辛辣なことを言えたものだが、不細工を唯一カバーできるのは<笑顔>であると判断して、娘の人生を一歩前に押しやろうとしてくれた父の判断は正しかったことになる。
過ぎて来た人生において、いついかなるときもすぐに笑えたわけではないが、笑おうとした努力に対しては父も冥界から拍手を送ってくれるのではないかと思う。
「笑っていなさい」の言葉は、私の中で父の遺言として生きている。この言葉は心の中に住まわせてあるので黒革のかばんも要らず、相続税もかからない。ありがたい。
故二子山親方の相続や遺言騒動がワイドショーをにぎわせている。
大事な書類の入った黒革のかばんが消えた。死期間近い病室に誰と誰がいたのか。図まで描きながら、口から泡を吹いて喋りまくるレポーターの横顔が、地獄の釜に嬉々として群がる赤鬼たちのようにも見えて、おどろおどろしい。親からの遺言。縁あって親子として暮した長い歳月の中から受け取るものも有る。
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二十歳のときに母の弟にあたる叔父からお見合いの話があった。叔父の家は大きな傘屋さんを営んでいて、そこに出入りしている26歳の営業マンが、なかなかに誠実な人なのでどうかということだった。どうする? と父が私に訊いた。私は「まだいい」と言った。保育者になる学校を卒業したものの、家業の大衆食堂の人手が足りずに店を手伝っていた長女の私。その労働力を重宝もしていた父は「そうか」、と言っただけだった。
二年が過ぎた。
叔父がふたたび縁談を持ってきた。「以前の人なんだけど。どお? 将来は独立したいから商売屋さんの娘さんを探しているそうだけど、逢ってみない? 」
三年越しの縁談である。
営団地下鉄(現東京メトロ)「人形町」の出口を、トントントンと駆け上っていったら叔父とYさんが立っていた。Yさんは上背のある男前で目に張りがあって声が柔らかくてとても素敵な人であった。
私は自慢ではないが不細工な顔を持って生れ落ちた。美男子にこの私ではつりあわない。これはだめだな、と思った。それで私は断わられてもともとの感じで、取り繕うことなく自然に振舞った。敬語と静かな声で話すYさんを横目に、私はよく笑いよく食べ、上品ぶらずに普段どおりにしゃべった。そして食後のコーヒーのあと、おおよそお見合いらしくもないとどめで「かっちゃん(私たちは叔父をそう呼んでいた)、ちょっとお手洗いに行きたい」と言いつつ、Yさんに会釈をして、前を横切った。
「明るさと快活さと、物怖じしない元気さが良い」という返事が、かっちゃん叔父さんのところに来て、私たちは付き合うようになった。人並みなデートも人並みな長電話もして半年後に式を挙げた。一年後には商売を独立させて、子供が二人生まれて、自営業を拡大した。社員が増え、パートさんが増えて軌道に乗った矢先の夫の早逝。夫42歳、私36歳、結婚生活13年と一ヶ月だった。
葬儀が終わり、8歳と10歳の子供を抱えた私に、「何があっても笑っていないさい。そのうちにきっといい事がやってくる」と父は言った。
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人生の前半に悪いことが重なる運命を持って生まれてきたのか、36歳で夫と死別した後に、引き続いて私はがんを罹患している。がんは夫との死別後の生活が何とか立ち直り、笑顔も板についてきた頃だったから、神様は非情なことをなさると気落ちした。辛い治療や死の世界に連れていかれそうな恐怖、それに片親さえ亡くしてしまうかもしれない子どもたちと、生まれてきた甲斐さえないような自分自身への憐憫に、うなだれるばかりだった。
その後、笑うことなどもうないと思っていたけれども、人生はなかなかにして捨てたものではなかった。
がん治療が落ちついて日常生活に戻ったとき、あとは再発をどう防いでいくかという模索になった。生き方の基本から直していかなければ、がんはまた再発するだろう。
私なりに考えた。がんの原因であるストレスによる免疫異常をクリヤーしていくには、笑いの効用でキラー細胞を増殖させて、そやつにがん化した細胞を喰いまくってもらって免疫力を高めていくほかに手はないだろうと。そして、ストレスを回避するためには、とことんマイペースの行動をしようと。
よく笑うこと、ストレスからサッサカ逃げることを徹底的に自分に義務付けた。楽しい人とだけ付きあう。落語に行く。面白い話がなければ自分から探しにいく。うるさがられようとも大きな声でおなかの底から笑う。おかげさまでこの年まで来た。不細工なのは昔から変わっていないが、まあともかく笑顔をいつも絶やさない女にはなれたと思う。
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そういえば、夫が亡くなったときに父は「何があっても笑っていないさい。そのうちにはきっといい事がやってくる」と言ってくれたが、その昔、夫とのお見合いに出かける私の背にも父は同じような言葉を投げかけたのだった。
「おまえは器量があまりよくないから、笑っていなさい」と。
年頃の娘によくもずばりと辛辣なことを言えたものだが、不細工を唯一カバーできるのは<笑顔>であると判断して、娘の人生を一歩前に押しやろうとしてくれた父の判断は正しかったことになる。
過ぎて来た人生において、いついかなるときもすぐに笑えたわけではないが、笑おうとした努力に対しては父も冥界から拍手を送ってくれるのではないかと思う。
「笑っていなさい」の言葉は、私の中で父の遺言として生きている。この言葉は心の中に住まわせてあるので黒革のかばんも要らず、相続税もかからない。ありがたい。
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