2007年5月4日金曜日

がんエッセイ9 「赤色拒否」

悪性リンパ腫の治療に「CHOP療法」というものがある。アドリアマイシンを始めとする多剤を静脈に注入する。体内に注入された薬剤は、正常細胞より速い分裂の特質をもっているがん細胞を目がけて攻撃していく。しかし、体内で早い分裂をしているのはなにもがん細胞ばかりではない。特に毛、爪、血液、消化管内の細胞の分裂は速いので、それらもがん細胞と同じものとみなされて攻撃を受けてしまう。
毛の細胞が攻撃を受けるから体毛が抜け落ちる。頭髪のみならず、まつげも眉毛もきれいにサッパリと抜ける。爪の成長が妨げられるからひびが入る。血液内の細胞が攻撃を受けて白血球数が減少する。それによって抵抗力が落ちるからやり場のない倦怠感が発生する。粘膜細胞が攻撃されて口内炎ができる。消化管である胃の粘膜は特にやられるから、強烈な吐き気におそわれる。
これら一連のきつい副作用を伴うのを承知の上で、本体を死なせないまでの、ぎりぎりラインに踏み込んで行われるのが抗がん剤治療である。私はその「CHOP療法」を月に一回の割りで一年間受けた。薬剤はアセロラドリンクのような赤い色をしていた。

入院をしていたのは血液内科であった。外科の先生が私のベッドにやってきて、治療のために必要であるからと鎖骨の下にある静脈に注射針を埋め込む小さな手術をしていった。
主治医がやってきて、「手についたら大変なことになるから気をつけなさい」と看護師に注意を与えながら、手術で埋め込まれた中心静脈につながっているカテーテルのT字形のつまみを開けた。そして手に持っていた注射器から赤い色の液体を私に入れた。
がんの告知でどん底に落ちていた私は、自分の体をもう一枚の皮が覆っているような、あるいはすでに死んでしまった自分を引きずっているような感覚の中で、私の体に注入されていく赤い毒を見ていた。30分後に猛烈な吐き気が来た。

がん病棟の中ではいつも誰かが何かと綱引きをしていた。
その夜は、血尿の袋をぶら下げていた若い娘さんが、ナースセンターの前の病室に移るのは嫌だと大声で泣いていた。ナースセンターの前の病室に移って、帰ってきた人がいないことは、入院患者ならだれでも知っていたから、無理もなかった。ぬいぐるみで飾り立てたベッドが半分起こしてあった。高価なマスクメロンの大きなカットが手付かずにあり、母親がその前でうつむいていた。
私もその夜は、吐き気が幾度も襲ってきて、その絶え間なさに病室に戻ることができず、一晩中トイレの中にいた。トイレの中では、抗がん剤治療を受けた患者たちの小水が大きなビーカーに溜め込まれて棚の上に整列させられていた。夜の蛍光灯にそれぞれがそれぞれのがんの色を出して怪しい光を放っていた。私の名前を書いたビンもあった。私の小水は木苺のような赤い色だった。
食べられないから吐くものもないのに、吐き気がこみ上げて止まらない。がんを抱えて自分はどうしてこの病棟に迷い込んできたのか、世の中にたくさんいる幸せな人々は、どうして幸せなのか。吐き気と共に理不尽さがこみ上げてくる。自分の小水のビンを割ったらここから脱出できるかもしれない。トイレのタイルに座り込んで、私は小水のビンを眺めながら気持ちの中で怒りの手を振り上げていた。
何度となく怒りの手を振り上げても、その手をおろす場は病院内には無く、ベッドに伏して、毒が体から流れ去っていくのを待つしかなかった。いくらか元気になると次の治療月がやって来た。また真っ赤な液体が体に入っていく。そしてとめどなく吐く。マニキュアの除光液(アセトン)を一瓶まるごと飲み干したあげくに吐き続けるかのような、その嫌な感触。

何者かとした命獲得の綱引きにはとりあえず勝つことができた。
治療は終了したものの、心の中に刷り込まれた赤色イコール吐き気の図式からは逃げられず、アセロラドリンク、トマトジュースを見るだけで身震いがきた。
他人が塗っている赤いマニキュアを見ただけでも、病院で死と向き合った苦悩や、吐き気で七転八倒した姿がフラッシュバックされて、私はそのたびに首を振ってその影を振り落とさなければならなかった。まして、自分からマニキュアを塗るなんてとんでもないことであった。スーパーマーケットで売られているペットボトルの人参ジュースにすら近づけなかった。「赤色拒否」と私は名づけた。

あんなにも身体総動員で拒んだ赤色だったのに、がん以後5.6年が経過したある日、いつの間にかなんとなく平気になっている自分に気がついた。薄皮をはぐようにとでもいうのか、再発の不安がいくらかなくなった時期にきたのか、赤色を正面から見られるようになってきたのである。木苺のような色をしたゼリーも、私の前でも他人が食べる分には平気になった。やがてトマトジュースやアセロラドリンクを少し手に取れるようになった。赤いスカートも人参ジュースも徐々に大丈夫になった。ここ一二年はマニキュアも塗れるようになった。
それにしても、人の心は何と複雑にできているのだろうか。しなやかさと強靭さと、あっけないほどの弱さと何事にも立ち向かえる強さと、柔軟さとこだわりと……それらは相容れないはずなのに、しっかりとあわせもつことができている。
死んだほうが楽だと思えるほどの過酷さを体験しても、いつかは自分らしさを取り戻すことができるのだ。人間はなかなかにしてたいしたものである。だから、悲観する出来事に遭遇しても、あわてて死んだりしてはいけない。

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