2007年5月5日土曜日

父エッセイ6 「風鈴」

理由あって縁が切れていた伯父から電話があった。
(どのような理由かは、先週のエッセイ『フーリンリン』をごらんくださいませ)
「やっとかめだなも、きみちゃん。あんたのお父さんとはちょっとした事で喧嘩になってしまったけど、私も至らんところがあったでねえ、申し訳ないと思っとる。今日はお願いがあって電話をしたんです。
私は東京で事業の失敗をしたけれども、職業軍人で満州に渡っていたこともあるから年金の額も多いし、蓄えた財産もそれ程減ってはいないんです。預金と住んでいる名古屋の家があるけど、それをきみちゃんに譲りたいと思う。きみちゃんは私が貰いたいと思っていた子だし、どこかに寄付することも考えたけど、どうしても血のつながった人に貰ってもらいたいんです。
きみちゃんは旦那さんを亡くして、子どもさんとの暮らしで、でも、暮らしに困ってらっしゃるわけじゃないから、こんなお願いをしても駄目かもしれないけど……私の女房は今、病気でね、もう長くないと思うんです。女房が死ねば私は一人になる。
それで、ご相談なんだけど、きみちゃんに名古屋に来てもらって、同居してもらって、私が死んだあとは財産を譲りたいと思っているんです。見てもらうとしても三年くらいで私も死んでいくと思うから、そんなに面倒はかけないと思うんです」。
私は、仕事の保育の予約児が来年も埋まっているので、来年いっぱいは東京を離れられない旨をお話した。伯父はその予約児は再来年の春には終わるんですね、と確認をして、その頃にまた電話をすると言った。

子供を持たなかった夫婦の片方が病気になると、残された者は寄る年波の心細さで身の振り方を不安に思う。それで、単身家庭で動きの可能な姪である私のところに電話が来たのだ、と私は落ち着いて判断をした。
私の実家に碁を打ちに来た伯父、父に手形を割ってもらいに来ていた伯父、父がこの伯父との兄弟げんかで縁を切ったことなどをフワーと思い出した。伯父の言葉の端々には年寄りの心細さから来る不安感の果て、とも言い切れない、ある意味の身勝手さの片鱗を感じて、積年の出来事が何となく理解できたような気がした。
遺産があると公言できるのは、今流に言えばラッキーな老後である。それならば、面倒な血の関係に頼らずとも、預貯金と家を処分したお金でそれなりのホームに入所するのが、子を育てえなかった人の覚悟というものではないだろうか、と一瞬思ったが、そのことを言うのも酷な気がして、「とりあえず今は、伯父さんの面倒を見に名古屋に行くことはできない」とだけ返事をした。

私の弟はしっかり者である。この『伯父遺産譲渡』の顛末を母から聞いたらしく、電話がかかってきた。
「あやふやな態度でいると、あっちは年寄りだから自分に都合の良いように話を積み上げていくぞ。ちゃんと断っておけよ」
「名古屋に行く意思がない、とはっきり言うのは、年寄りだし可哀相じゃない? 伯母さんが亡くなったりすれば、また状況は変化するでしょ。その頃には有料老人ホームに入所しているかもしれないし、不安を抱えている年寄りに何も今、言い切らなくとも……」
「お姉さんがはっきり断らないと伯父さんは夢を持ってしまうよ」
「いいじゃん。きみちゃんが三年経ったら来てくれるかもしれないということが頭にあったほうが、伯父さんは元気が出るじゃん」
「知らないぞ、ある日チャイムが鳴って出てみたら、引越しトラックと一緒に伯父さんが助手席で手を振っていたとしてもさ(笑)。だけど、大体失礼なんだよな、あの伯父さんは。お父さんと喧嘩をしたくせに今頃になって電話を掛けてきて。それに甥や姪の中でお姉さんが特に可愛いなんて、ずいぶん昔から伯父さんはそれを言っていたし……」
「貰い受けられたらと思っていた姪だからじゃないの。ともかく、この話は放っておこうよ。伯父さんも思いつめての揚句じゃなくて、思いついての電話だったってこともあるでしょ。時が解決してくれるよ、多分。このことで私たちが喧嘩することないじゃん」。

年をとると体が思うようにならない。そんな中で友人知人やパートナーが欠けていく。気持ちも萎える。お年寄りの周りの風景はどのように移ろっていくのだろうか。年をとれば自分の一生を気持ちの中で清算しなければならない時がやってくる。その時、心はどんな想いになるのだろうか。
身勝手な伯父の電話だったが、お年寄りの心情に思いを馳せられないもどかしさが、季節外れの風鈴のような物寂しさを連れて、今も私の心に残っている。

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