2007年5月4日金曜日

がんエッセイ14「玉川温泉」

秋田県の焼山山麓に位置する玉川温泉は台風の影響で強い横殴りの雨の中にあった。蛇行する山道を車で登っていくと、岩がゴロゴロとあるむき出しの山肌のところどころから蒸気が立ちのぼるのが見えてきた。玉川温泉を目指す車の列の脇にはを、傘をさしてリュックを背負い、ズボンの裾をめくって歩いていく人々の姿もあった。
混雑する駐車場の手前で車を降ろしてもらって、遊歩道に入った。
遊歩道を進むと右側に激しく蒸気が噴出しているのが見えてきた。大噴きと呼ばれる源泉で、あたり一面に強烈な硫化水素臭がしている。摂氏98度のお湯が、毎分9,000リットルの勢いで噴き上がってきている、と案内板にあった。
大噴きの反対側は細い遊歩道がついているものの、石ばかりの風景がひろがっていた。大きめの岩の陰には、雨の中だというのに、パラソルをさして、ゴザを敷いて座りこんでいる人がいる。
地熱により温められた石の上で横になることで、じっくりと時間をかけて体を温めて癒していく人たちだそうである。
遠くには雨露や陽射しを防ぐことのできる小屋もいくつかあって、その中でも岩盤に横たわることが出来る。小屋に向かっていくのか、丸めたゴザを小脇に抱えた人たちが、幾組も私たちを追い越して行った。
このあたり一帯の石は、日本では玉川温泉にしかない北投石(ほくとうせき)と呼ばれるもので、鉛の多い褐色の層とラジウムの多い白色の層が重なって縞模様になっている石である。ラジウムを含有しているということは、即ち微量な放射線を出していることで、この遊歩道に立っているだけで、なにか息苦しいような一種異様な心持状態になってくる。どこを見渡しても振り返っても、石ころばかりの世界。<茫々たる風景>という言葉が私の頭の中に浮かんだ。

小鹿のような彼女だった。
小柄で褐色の肌、黒い大きな目、きゅっと引き締まった口元。落ち着いた利発なしゃべり方。バレー部の部長。そして小中学校時代を通してずっと学級委員。
彼女からは生涯に三度の手紙をもらっている。一番最初の手紙は20歳前だった。「ずっと謝ろうと思っていたのだけど、小学生の時、かばって上げられなくてごめんなさい」という詫び状だった。
小学校5年生の秋に私は名古屋から東京の小学校に編入した。標準語になじめず、東京の小学生の上品さに戸惑い、勉強は一年間も休学したかと思えるように進んでしまっていた。積み上げ学習をしていかなければならない算数などはチンプンカンプンの世界だったから、教室での私はただただ座っているだけの存在だった。
方言が邪魔をしてしゃべれない私を男の子たちがからかった。椅子を引き、消しゴムを丸めておまえの鼻くそだと笑った。陰湿ないじめではなかったが、ハエを追うように男の子たちに立ち向かってくれたのは、成瀬さんというお友達たった一人だけで、それ以外はクラスメート全てが、私を遠巻きにするだけの人たちだった。
大人になるその少し前、大人になっていくために越えなければならないハードルであったかのように、彼女は私に詫び状をくれたのだった。
卒業アルバムを卒業式の日に粉々に破いて川に流した私にとって、小学生時代はなかったも同然の中にあったが、彼女からもらった手紙で、私もまた小学校時代の思い出をほんのりと色付けることができて、大人になれた気がした。
二度目の手紙は、なぜそれをやり取りしたのか記憶にないが、大手の広告代理店に就職をして結婚をして、夫と話し合いの末、お互いの自由を尊重する結婚生活を送っていること、ディンクスの道を選んだことなどが書かれてあった。子育てに髪振り乱してそれなりに生活を切り詰めていた私は、彼女の葉書をまぶしい物を見るように見た。
三度目の手紙は今から8年前で、私ががんに罹患して「がん患者がともに生きるガイド」を出版した後、大腸がんについて教えてほしいことがあるの、という電話がかかってきた、その一年後の葉書だった。
葉書は絵葉書で石ころの多い山肌に蒸気が吹いている絵柄で、玉川温泉に来ています、という書き出しであった。
大腸がんが再発したことを記し、お医者さんは治療の道もあるけれども自由に過ごしてもいい、と言ったこと。どちらを選ぶか迷ったけれど治療よりも自然に在るがままに生きていく道を選んだということが、万年筆の太目の字で書かれてあった。自分の一生におおよその悔いはないけれども、ディンクスを通さずに子どもを産んでおけばよかったかな、その一点だけが曇りかなぁ、とも書いてあった。

玉川温泉の雨の中で、私はここに来たであろう彼女の姿を探していた。褐色の小麦色の肌と小鹿のような黒い目をもった学級委員の彼女はどこにもいなかった。
遠く雨にかすんでいる先も、またその先も土色の世界が広がっている。じっと見つめていると、それは、やがていつか誰もが通って行く道につながっているようにも見えた。
<往時、茫々として夢のごとし>という。それであるならば、なおいっそう今を一所懸命に生きなければならない。

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