2007年5月4日金曜日

がんエッセイ11「月日は」

『つきひは はくたいのかきゃくにして いきかふひとも また たびびとなり……』

昨年の暮れ、がんに関する雑誌の二社からたてつづけに取材を受けた。一社は「がんに克つ」(株式会社 ぴいぷる社)、もう一社は「がんサポート」(株式会社 エビデンス社)である。
がん罹患からすでに11年を経ている私では、当時受けた闘病体験は参考にはならないであろうし、病院や医師に対する想いも今となっては特に目新しい情報ではなかろうからとお断りをしたが、がん罹患後に長期生存して、エネルギッシュに活動をしている人たちに取材をお願いしていますから、と二社から揃って言われた。
がんは今、罹患後も生きていかれる人が多くなって慢性疾患ととらえられるようにもなっている。命そのものを長さではかるのではなく質でとらえる生き方にも目が向けられるようになり、がん患者であっても充実して生きる必要性が生じてきたゆえに、私のところに同じような時期に同じような意図で雑誌社から取材依頼があったのだろうと思う。がんを体験しながらも頑張って今を生きている私の状況が、たった今、がんになったばかりの方に少しばかりの勇気の元になるのであれば、と取材をお受けした。

取材をされた時にもお話をしたが、私には生涯忘れられない大好きなDrがいる。苗字をもじって、私はひそかに「イブ」との愛称をつけていた。
私はがんに至るまでに病名が二転三転した。手術時の所見も間違われて、細胞診の結果でやっと悪性リンパ腫と決定した。手術をした病院から抗がん剤治療のための病院へと移動もせねばならず、ガラス板に挟まれたがん細胞標本を私自身が持って、気持ちうなだれたままに転院をした。到着した病院のカンファレンス室で私は女医のイブに出会った。私から病理標本を受け取ったイブはすぐにそれをどこかに差し回した。病歴について基本的なやり取りをしている間にそれの返事は来た。「そうなのね。はい解かりました」、イブは室内の受話器を置くと私にすぐに向き直ってはっきりと言った。「悪性リンパ腫に間違いないそうです」。
そんなことはもう解かっている、と私は言おうとしたが黙った。それよりも悪性リンパ腫がどのような経過をたどるものなのか、私の命はあとどれくらいあるのかが聞きたかった。
「悪性リンパ腫について私はまだ何も説明をうかがっていませんのでお知らせください」とイブに問いかけた。「病気については詳しくは教えません。教えれば患者は悪いことばかりを頭に入れて、それは治療の邪魔になります」
「それでは、末期とかのステージだけでも教えてください」「そんなものはありません」。取り付く島もない返事だった。私は「がんが頭から離れないから教えて欲しいのです」と食い下がった。するとイブはこう言った。「がんなんだから頭に入れておきなさい」。
がんでうなだれている患者にいくつものパンチ。化粧っけのない小柄な女医さんの横顔があった。がんなんだから頭で認識しなさいということか、と私はぼんやり思った。

この気難しいイブに看護婦さんたちも恐れているような様子があった。事実、何人もの患者がイブの毒舌に泣かされたという伝説も残っていた。けれども病棟で過ごすうちに、患者を切って捨てるように冷たく扱いながらも、がんを抱えて生きていくための本当の強さを患者に植えつけようとしているイブの気持ちを私は感じ取ることができた。
入院中に私が喉に硬いしこりを見つけて、再発かとおののいてイブに病室に来てもらったときもそうだった。イブはにこりともせずに喉をゴリゴリと探っていたが、一言「ホネ!」と言い捨てて病室を出ていこうとして振り向きざまにさらにこう言った。「あなたのような人をシンショウボウダイと言います。どうあがいても、生きるものは生きるし、死ぬものは死ぬ!」
同室の人が「ひどい言葉ね」と慰めてくれたが、治療をしても亡くなっていく患者さんが多かった当時のがん病棟の中で、患者と同じようにがんと闘っているDrイブの心の悲しみを、私は一瞬垣間見たような気がした。
治療の途中で一ヶ月ばかりイブが海外に出かける用事があった。治療が滞ることに不安を示した私に、「一ヶ月あいたからとて、再発してしまうような治療を私はしておりません」怒ったように言い切ったDrイブ。信頼感が増した。

抗がん剤治療が終了して数ヶ月後、私はイブに言われた。「経過観察をしていましたが数値も良いようですね。私が主治医としての診察は今日が最後です。私は病院を辞めます。後はS医師に頼んであります」。
私は不意に母親に手を振り払われた幼な児のような感覚に陥った。イブに去られる寂しさで胸がいっぱいになって私はボロボロと泣いた。イブは、何を泣いているの、というような顔をしてしばらく私を見ていたが「私の感じでは治ったと思います。頑張って生きていきなさい」と言ってくれた。
再発の不安が生じると「治ったと思います」、とはっきり断言してくれたイブの最後の言葉をいつも反芻した。たとえプラシーボ(擬似)効果であったにしても私の尊敬するDrイブが言ったことだもの、間違いはないと信じた。

『月日は百代にわたって旅を続けて行くものであり、来ては去り去っては来る年々も、また同じように旅人である。……』(「奥の細道―序章・現代訳」日本古典文学全集内・松尾芭蕉集より―岩波書店)。
月日はきわめて長い年月にわたって過ぎていくが、万物の命は脈脈とは続かない。いつか全てのものと別れるときが来る。誰もがこの世を過ぎていく旅人であり、私もまた然りである。行き着く先が全てのものへの別れに続く道であっても、今年もまたひたすらに前を向いて私は歩き続けていきたい。
お正月はがんの治療が無事に終わった月でもあるから、新年のめでたさのほかにイブに貰った命を毎年数えることにしている。今年で12年目になる。
イブという単語には、ヘブライ語で「命」という意味があることをずいぶんと後になって知った。

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